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法隆寺 祈りとかたち展 私的感想文

投稿日 2014年8月23日 土曜日

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会期終了の間際。新潟県立近代美術館で開催されていた「法隆寺 祈りとかたち展」に行ってきました。
半分以上が明治昭和の仏教美術。奈良、平安を始めとする法隆寺の宝物を期待して行ったのに拍子抜けで残念だった…なんて感想も事前にチラホラ見かけましたが、とんでもない。
飛鳥から昭和まで続く仏教美術の系譜みたいなもんがビシビシ感じられる、すげー良い展覧会でした。
以降は記憶を補完する目的の私的な感想文です。

持国天立像、多聞天立像

飛鳥時代の持国天立像、多聞天立像。よく知る天部像とは随分雰囲気の違う、大陸から来ました的な像容。神像入ってる。

重文 薬師如来坐像

今日の欲しいパターンのヤツ。黒ずんだ部分と金が残る部分との色味が絶妙な小柄な像で、息子と「骨董市にこんなの売ってないかね」と話をしてたら、近くにいたおじさんに笑われた。プラモ美術。

国宝 地蔵菩薩立像

本展の目玉であろう国宝の地蔵様。重量感たっぷりで、その顔は汚れのせいか泣いているようにも見えた。太ももに衣がピッタリと張り付いたような感じは清凉寺式のそれに似てるなと思ったんだけど、これは茶杓型衣紋(ちゃしゃくがたえもん)というらしい。
体格が良すぎて正直なところ好みじゃないなって思ったんだけど、この地蔵は右斜め後ろからのビューが非常に良かった。放射状に広がる衣紋が照明の当て方とも相まって、宇宙の広がりみたいなもんも感じさせてくる。実際に衣を着ているところを想像すると、右腕に流れる布は広がり、肩から流れる衣は脇に集約されているはずなんだけど、そんなんどうでも良く放射状と言いたくなる。真っ暗な宇宙の中空で後光を放ち地蔵さんが立っている。その地蔵さんと対峙する自分。放射状を見てるとそんな風に錯覚する。

重文 舞楽面(胡徳楽)

法隆寺といえば面である。古来より人は面を被ることによって別の人格、神や仏になりきり、近づき、敬意を表してきたのだ。この面は賭博黙示録カイジの兵藤和尊になりきるための面である。

高村光雲 定胤和上像(じょういんわしょうぞう)

昭和初期の作品。高村光雲にかかれば木は肉であり布である。ぽっぺをペシペシやりたい衝動に駆られた。

和田英作 金堂落慶之図(こんどうらっけいのず)

大正の作品。法隆寺金堂壁画の落慶の様子を描いたもの。ドラマティックな演出はあえて封じ、歴史的事実を客観的な視点で写実的に描かれている。前のほうにいるやつは真剣に説明を聞いてるげなのに、隣のヤツとお喋りしてたり首をかしげて「なんすかこれ」な表情しているヤツとか描かれていて素敵だ。最後尾で雑談してるヤツなんかはY談してるんだと思う。
この絵から感じような雰囲気って、現代だと山口晃なんかに引き継がれてるんじゃないかって感じた。

2014.8.16

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