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関山神社 御開帳

投稿日 2022年7月23日 土曜日

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カテゴリ上越地区の仏像, 秘仏, 読んでみた

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6月の初旬、妙高市の関山神社にて秘仏御開帳があるとのことで、でかけてきました。

御開帳されていたのは「関山神社 銅造菩薩立像」と「妙高堂 阿弥陀三尊像」。

銅造菩薩立像は、水野敬三郎先生監修の日本仏像史の中で一番最初に紹介されている仏像です。
仏像に興味を持ち始めたころ、家の近くにこんな凄い仏像(本の一番最初に紹介されてる)があったんだと本を読んで驚き、長い間見てみたいなと思っていました。

 日本仏像史

銅造菩薩立像は、江戸時代まで関山権現(現関山神社)の本尊として祀られていた聖観音菩薩像で、明治時代から秘仏とされている。平成21年に国の重要文化財に指定された。

平成30年の社殿再建200年祭で御開帳されたそうなので、4年ぶりの御開帳。4年前は人生をシャットダウンしていたので、何も覚えていない。

菩薩立像

六世紀後半に朝鮮半島の百済で制作されたとみられている渡来仏で、その形態も百済の様式を示している。

像高20cmほどの小柄でスリムな仏像で、服装や衣紋などの様式もよく目にする菩薩像とは異なる。そのスリムさからか懸仏のような印象も受ける。

中尊を聖観音菩薩立像とし、左に十一面観音、右に文殊菩薩の三尊像として本殿に安置されているそうだ。十一面観音と文殊菩薩の御開帳は今回はなく、どうやら人生をシャットダウンしていた4年前に公開されたらしい。再起動するのに2年かかったし、しょうがないのだが、それにしても文殊さんがカッコ良さげでシャットダウンしていたのが悔やまれる。

カッコ良い文殊さんは神。

三尊像

妙高堂の阿弥陀三尊像は、江戸時代までは妙高山の本尊として山頂の阿弥陀堂に安置され、年に一度の信仰登山のときのみ参拝することができた。当時は妙高山如来と呼ばれ、その姿は善光寺仏を模した「善光寺式」の三尊像。

信仰登山は明治元年に廃止となり、その際に三尊像も山頂から降ろされて、現在は妙高堂というお堂に安置されている。

阿弥陀三尊像

妙高堂を覗いてみたら、マジックで書かれた「阿弥陀三尊」という御札が貼られていた。

マジック・ジョンソン

妙高山を崇拝する山岳信仰。

春になると雪が解けて山肌が現れる部分と、谷あいで日陰となって雪が残っている部分とでコントラストができ「山」の文字となった雪形が現れる。山に「山」の雪形。バンド名に「音楽」と名付けた The Music を彷彿させる、そのまま感である。

山イコールTheMusic

山岳信仰と聞くと、短絡的に役行者や蔵王権現と結びつけて考えてしまっていたが、関山神社にはどちらの影も形もなかった。

代わりと言っては違うんだろうけど、上杉謙信の影は出てきて、上越のほうの寺社仏閣来たなと思う。本堂には上杉謙信が奉納したと伝えられる、真っ赤な龍旗が飾られていた。

仏足石の看板

仏足石

仏足石看板図入り

神社周辺には、歩いて回れる範囲で他にも仏足石や、石仏群、大きな弥勒菩薩の石仏など、色々な文化財があった。

仏足石は、ビフォー仏像時代の信仰の対象だったようなもので、新潟であまり見かけた覚えもなく、やっぱり関山神社への仏教の伝来は早かったのだろう。

石仏群

石仏群は、廃仏毀釈の影響なのか単なる風化なのかわからないが、上半身だけが地面から姿を表していて、にごり湯のある温泉のようである。

弥勒菩薩も上半身だけである。上越地方では、三和のほうにも山の中に大きな石の仏頭があり、この雰囲気はそれを思い出すのだが、それにしてもコンクリづくりで部屋も狭く、砂利の細かさも相まってムショの奥のほうにいる(布団を積み上げた高座に座ってる)親分のようである。

中越地方だと二十村郷の石仏群などが思い浮かぶが、こういった大型の石仏はあまりなかったように思う。

みろく


帰りには、大好きな食堂ミサで味噌ラーメンを食べて帰りました。久々に見仏で県内を出歩きましたが、やっぱり仏像と結びつけて地域の文化を見るのは楽しいなと思いました。

2022.6.5

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