親子三代 善導大師像のもとで暴れていたわけで
私、ひとりごとが多いんです。油断しているとブツブツ言い出す様はかなり気味が悪く、職場でも 生身のTwitter と呼ばれています。ドンマイ。
寺も仏像も好きな私なのですが、人間的な中身は、まったくもって悟りの境地とは程遠い世界でリラックスしていますので、気がつくと
「こ・の・く・そ・が・ぁ」
などとつぶやいているらしいのです。困ったものですね。
もしもアップルの人とかがはりきって、こんなひとりごとを3D化する技術を開発してしまったら、私は世の中から抹殺されかねないので、早く大きな人間に成長して世界を綺麗なお花で埋め尽くしたいと日頃から考えております。頑張りすぎるなよ、ドンマイ。
さて、仏像の世界でもそんなひとりごとならぬ言霊を実体化した姿で表現された、空也上人像という有名な像が、京都の六波羅蜜寺に居ます。
このミスター言霊こと空也上人は、私などのような下劣な人間とは違い「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで極楽浄土に行くことができると説いて、庶民の間に仏教を広めた偉いお坊さんなのですが、熱心に「南無阿弥陀仏」と唱えるその口から、六体の阿弥陀が現れたという伝承を、6体の阿弥陀仏の小像が開いた口元から吐き出すことで表現しています。
新潟のミスター言霊
よく晴れた5月初旬。
新潟にも、同じように阿弥陀仏の小像を口から吐き出していたらしい像があるとのことで、上越市寺町の 善導寺 にお邪魔してきました。朝からの田植えのおかげで、耳と手首だけ真っ赤に日焼けしていました。
目的の善導大師像は国指定の重要文化財。
以前、同じ善導寺の記事を書いたときには、県指定文化財と書いてしまったのですが、2011年の1月に国の重要文化財に指定されていたそうです。
善導大師像は、内陣の奥 高さ2mほどの少し高いところに祀られていて、顔の付近には幕もかかっていました。全体的に距離があるのと、薄暗いのとで姿ははっきり見えません。
昔からお寺のご本尊としてこのように祀っていたので、国の重要文化財に指定された今も、これまでと同じようにしているとのことです。
お寺で頂いた資料によると次のようにあります。
木像善導大師立像/像高126.9cm/鎌倉時代
唐の浄土教の大成者であり、その思想と口称念仏をはじめとする実践が日本の浄土教と浄土真宗に大きな影響を与えた善導(613~81)の肖像彫刻である。
その像容は顔をやや左斜上方に向けて合掌して立ち、開口して念仏を唱える形姿に表される。口腔内に小孔が設けられることから、京都・六波羅蜜寺空也上人像(重要文化財)と同様に針金を指して化仏を表して、善導が念仏を唱えた際に仏が口の中から出たとの故事を表現したものと考えられる。善導大師の彫像の遺例中、本像と同じく立像形式とするものに、京都・知恩院像、京都・善導院像(以上重要文化財)等が知られる。これらはいずれも京都・知恩院の画像(重要文化財)またはその原本とされたであろう南宋時代、紹興31年(1161)の画像を範として製作されたものと考えられているが、本像も二重瞼とし、左上方にわずかに上半身を捻っていること等で画像に忠実である。
檜の寄木造りで玉眼入り。写実的でありながら、優しく穏やかな顔は大師が念仏を唱えたときの空気感を表現しているかのような見事な表情で、新潟にとどまらず全国的に見ても非常に素晴らしい仏像彫刻だと思います。
善導寺は、はじめ光明寺と呼ばれていたのですが、蓮開(海)上人が夢のお告げによって直江津善導寺浜の小舟から拾い上げた善導大師像を寺に安置して、善導寺と改名したそうです。道路に面した石柱には『本尊 海中出現 善導大師』とありました。
また、山川出版社『新潟の歴史散歩』によると、
善導寺は1614年(慶長19年)、城下寺院の中心として本丸の真西に広大な寺域を与えられ伽藍を構えた。1915年(大正4)の火災で12間四方(約472平米)の本堂を焼失したが、通りから100m近くある参道の中ほどに仁王門があり、往時の規模を推し量ることができる。
とあります。(*城下=高田城城下)
元々はもっと広大な敷地を持ち、周辺にも大きな影響を持っていたということが、散策をすると感じることができます。
悪ガキどもの憩いの場
ご住職に、子供の頃近くの金井駄菓子屋に通っていたということを話すと、やはりもう随分昔に店をたたんだのだと教えてくださいました。ご住職自身もよく通っていたそうです。
そのころのお寺の周辺一帯は、朝になると子供の声があちこちから聞こえた。それが今では、町内にも子供がほとんどいなくなってしまい、すっかり静かになってしまったといいます。ご住職は少し寂しそうな顔をしていました。
家に戻り母親に善導寺にお邪魔してきたことを伝えると、同じようにこのお寺の近辺は父の時代から悪ガキどもの遊び場だったと教えてくれました。もれなく私の父も暴れまくっていたのだと。
ほんの少し前までは、お寺に連れてくると静かに正座をして手を合わせていた息子も、すっかりお寺というのもに慣れてしまったようで、広い本堂で走りまくったり、あちこちの襖を開けてしまったりと、ご住職にはご迷惑をお掛けしました。
お寺には息子の声が響いていました。
大師像を見せてもらったあと、最近すっかり『踏切』がお気に入りの息子に連れられて、近くの踏切まで歩いてみました。中学、高校と何年も通り抜けたその踏切の名前は『ぜんどうじ踏切』ということを知りました。こんな時は、よく知っていた風景が少し違って見えます。
言霊を吐き出すときは注意してください
専門学校を卒業する際、卒業記念にと、クラス全員で数秒づつのパフォーマンスを収めたビデオを作成する、という指示が先生からありました。
撮影当日、用意した回答しか返せないアドリブ貧乏な私は、ノープランのまま手近にあったコピー用紙を丸めて頬張り、紙を口から産むという男を演じたのですが、当時のコピー用紙は原料に化学薬品などを多く使っていたのでしょうか。撮影後、口の中も外もただれて大変不快だったことを思い出しました。コピー用紙には「敗訴」とか書いていたような気がする。つまらないぞ、俺。南無阿弥陀仏。
夕暮れの空の下、ふあぁぁと大きなあくびをしたその口からは、化仏ではなく田植え疲れがどっと吹き出たようでした。
2012.5.13
善導寺(ぜんどうじ)
仏像 | 善導大師立像(国指定重要文化財:鎌倉)、仁王 |
---|---|
場所 | 〒943-0892 新潟県上越市寺町2-2-5 |
問い合わせ先 | 善導寺(TEL:0255-23-5097) |
拝観時間 | 要連絡 |
拝観期間 | 要連絡 |
拝観料 | 志納 |
公式サイト | なし |
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「京の冬の旅」で、三時知恩時さんのお手伝いを致しております。
善導大師座像のご開帳中で、もう少し像について知りたく、検索してたどり着きました。
田附さん、コメントありがとうございます。確認が遅くなってすみませんでした。
新潟は遠いですが、機会ありましたらぜひ足を運んでみてください。近くの浄興寺も素晴らしいお寺ですよ。