懐かしの のぐQ のそばには重文の一鎮
ここ数年のゴールデウィークは実家で田植えを手伝って(眺めて)います。
僕が子供のころの田植えは、何日もかけてと結構大変な作業(今でも大変っちゃー大変なのですが)だったのですが、道路ができたり両親が歳をとったりで管理する田んぼも随分と少なくなり、ちょっとした家族イベントの色が強くなってきています。
今年は例年より1週間遅れの田植えでした。手伝いと称しつつ、ちっとばかしの”はじうえ”をしたら、あとは息子ちゃんと用水路を探検したり雑草の中から食えそうなアスパラを探したり(母親は畑でもなんでもないところに種を撒いているようです)と、サラリーマンは気楽なもんです。
車の運転があるんで酒の飲めないぐぬぬな宴会が終わった後は、近所の称念寺へ。家から徒歩圏内の近さ。
このお寺の前の道は、保育園のころから高校生のころまでよく通った道。こんなところに慶派の上人像があるなんて、当時は思いもしませんでした。
自転車を漕ぐと、細部こそ変わってはいるものの、頭の深いところに焼き付いた見覚えのある風景。
そしてなにより、この「のぐちの灸」の看板に見覚えがありました。同級生が近所に住んでいて、全然違う苗字なのに、「のぐちのQ」ってアダ名をつけてたんだ。確か池田さん。
お堂にあがり、ご住職に近所のものだということを伝える。農村部のお寺だったりすると、ウチの実家の話しやらで多少な盛り上がりもあったりするんだけど、住宅地なこちらのお寺ではそれもなく、一鎮倚像の説明をしていただきました。
特別に写真を撮らせていただいたんだけど、「公開とかしないでね」的なことを先に言われてしまったので、お寺の前にある看板の写真などを。
看板にはこの一鎮倚像について次のように解説されていました。
称念寺の開祖とされる一鎮(1277~1355)は越後妻有庄(現在の十日町市)の出身で、時宗の開祖一遍(いっぺん)から数えて六代目の遊行上人である。本像は寄せ木による等身の木彫像で、合掌する姿は時宗の上人像の特徴を示す。京都長楽寺の重要文化財七件などが伝来しているが、倚像(椅子に腰掛けた像)である点、類例は極めて少ない。写実性豊かな頭部の表現から、仏師運慶の技法を継承した京都七条仏所による制作と判断され、慶派の肖像彫刻として、県内唯一の貴重な遺品である。称念寺は元来、直江津の国府にあったが、高田開府とともにこの寺町に移った。本像は彫刻史上の価値とともに、今はない中世越後国府の謎を多く物語っている。
玉眼で本物の草履を履いています。等身大とのことなんだけど、非常に小柄で小顔。まるで生きているかのような顔と、刻まれた皺。
彫刻としてみてしまうと、法衣はちょっと固い気がして、重装甲系のモビルスーツのよう。ズサとかそーゆーの?よく知らんけど。
このお寺のある高田寺町は63カ寺もの寺院が密集している全国的にも稀な寺院群。一鎮倚像が重文指定されたのも1999年と比較的近年。まだまだ素敵な仏像などが埋もれているかもしれませんね。
2011.05.15
称念寺(しょうねんじ)
仏像 | 木造 一鎮倚像(もくぞう いっちんいぞう)(国指定重要文化財) |
---|---|
場所 | 新潟県上越市寺町2-11-12 |
問い合わせ先 | 称念寺(TEL:025-523-4589) |
拝観時間 | 要連絡 |
拝観期間 | 要連絡 |
拝観料 | 寸志 |
公式サイト | なし |
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