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三和の仏頭

投稿日 2015年10月12日 月曜日

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カテゴリ上越地区の仏像

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仏頭

忘れられない時代なのである。
みんなが大嫌いなFacebookは少し前から「過去の自分を振り返ってみよう」などと言って、ご丁寧にも1年前や3年前に投稿した内容を教えてくれ、これが大変に面白い。ただ単に、あれを食べたこれを食べた、あそこに行ったどこそこへ行っただの事実を淡々と書き連ねているだけならば良いのだろうが、どうにも若い女の子に媚びたい一心の文体であったり、酔ったあげくのハイテンションであったりと、おい、いいオッサンがいい加減にしろと言いたくなる。忘れさせてほしい。

上越市の金谷山というところで、親孝行がてらジジババと子どもを連れてスーパーボブスレーをしてきた。スーパーボブスレーとは、夏場のスキー場にしかれたコースをブレーキの着いたソリで降りてくるという200円くらいでできるレジャーであり、それのどこが親孝行だと賢明な読者の皆様は思うかもしれないが、ジジババにとっては孫が目の前でキャッキャウフフしていてくれれば充分に嬉しいので、構図は若い女の子に媚びて「いいね」のボタンを押してほしいオッサンと同じである。充分にリーズナブルな親孝行なのであり、スーパーボブスレーの代金はジジババに出してもらった。ケチなのではない、車に財布を忘れてきたのだ。

子どもと一緒にスーパーボブスレーやりながら「お父さんは昔、スピードを出しすぎてコースから飛び出て、怪我をしたことがあるんだぞー。お前も気をつけろよー。」などと諭していたら、ノーブレーキでコーナーに突入したので恐怖のあまりに怒鳴りつけてやった。都合のいいように組み立てた俺の武勇伝を台無しにしないでほしい。
祠
秋なのに連休だった。どうやらシルバーウィークと呼ばれているようで、働き過ぎである私に対するご褒美かと思ったら押しなべて平等に訪れる連休のようであった。おまけに今年だけのもののようである。いつになったら、休みの合間に働く世の中が訪れるのだ。

折角の休みなのでこれは有意義に使わねばならないと、ナビの言う事を聴かずにいつもと違う田園地帯の道を抜けて自宅に帰ってみることにした。だいたい上越市はどこもかしこも田園地帯だが、特に田園地帯であるところへ向かったのである。新井柿崎線という道路にたどり着いてしまえば、いずれいつもの道に合流し、すんなり帰れるだろうという目論見だ。

車を走らせていたら国土交通省の青い看板に「水吉の石造仏頭」という気になる単語を見つけた。寄り道をしてみることにしたのだが、最寄りの曲がり角を曲がった所で案の定迷子になった。青い看板はいいところで突き放すのが悪い癖である。途中でやめないで最後まで道を教えてほしい。漫画の描き方の本で、まずは最後までちゃんと描くことが一番大事と教わらなかったのだろうか。

看板

いつもなら嫌気がさして帰る所なのだが後部座席では子どもがグッスリと寝ていた。それならばと、水吉という地名らしきものを頼りに人に出会うまで車を走らせることにしたのであるが、こっちが怪しいと山へと続く登り坂へハンドルを切ったところで一人のご婦人に出会った。田んぼでトラクターに乗っている人以外で人間に会ったのは、このご婦人が初である。

この出会いを大切にしなければならない。地方の見仏は地元民との交流が醍醐味で、学術的見地に乏しい私にとってはむしろこの一点突破こそが地方見仏である。車の窓を開け、ご婦人に青い看板を見かけて仏頭というものを探しているという旨を告げると、私が連れて行ってあげるから山の上で車をUターンさせて戻ってこいとのことである。

戻ってきたら、ご婦人がご自身の車に乗り込んでおり「ついてこい」とジェスチャーしている。土地勘のないところを、車で車の後をつけていくの難易度高くないですか?とか思ったが、他の車はほとんど通らないし常に田んぼで視界がひらけているので、無用の心配であった。

仏頭

ご婦人に案内され仏頭が祀られている場所100m前の看板にたどり着いた。この看板にたどり着く青い看板がもう一枚必要なはずである。

看板に書いてあるとおりに100mほど進むと、鬱蒼と茂った杉林の中に小さな祠があった。シーズンオフだったから良かったものの、レジャーがてらに半袖短パンなどの出で立ちで見仏に来たら、やぶ蚊の襲撃にあって撤退を余儀なくされるロケーションである。仏像はレジャーのような軽い気持ちで見に来てはいけないと、肝に銘じておかなければならない。私はスーパーボブスレーを楽しむのが目的だったので、もちろん半袖短パンである。

仏頭は県指定の文化財で、鎌倉時代のものである。3体とも顔だけが祀られおり、中央の阿弥陀さんは顔だけではあるが73cmもあって非常に大きく見えた。説明看板には次のようにあった。

 この石造仏頭は、鎌倉時代の作で近くの大光寺石(凝灰石)である。
中央が阿弥陀で高さ73cm、向かって右が地蔵で高さ53cm、左が観音で高さ71cmである。こんな大きな仏頭は全国でも四、五体しかないという。
 いずれも木寄せ法を用いた石仏で妙高山山岳信仰の延線上にあるものとされている。
 ここ堂百は平安時代信越の古道、牧街道の堂泊で、古来山寺三千坊の一坊の伝説がある。

その場にあった看板より引用

妙高山山岳信仰といえば新潟の仏像史のルーツのようなところであり、関山には石仏も多く残っている。どうしてこの場所にこんなデカい仏頭がと考えるならば、板倉の山寺薬師にも近いので、なるほど山寺三千坊ですかとなる。「誰が何のためにこんな場所に仏頭をつくったのだ」「昔の人が信仰のために丁度良い場所に」である。これは、そのうち調べてみるとか言っておけばよいパターンだなと思考を停止させた。

少し引っかかるところがあり、家に帰ってTwitterを遡ってみたところ4年前にもこの看板を気にしていたようだ。気にしていたらしいが、その後何もしなかったらしくすっかり忘れていた。偉大なるインターネットの忘れられない時代も、私のように何もしないものにとっては無力である。

仏頭を探している最中「米と酒の謎蔵」という看板がチラチラと目に入ったが、結局のところ謎だった。

2015.09.21

石造仏頭三箇 堂百地蔵宮 大字水吉

仏像 石造仏頭 阿弥陀如来、地蔵菩薩、観音菩薩
場所 上越市三和区水吉




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