滝谷薬師堂でベルが鳴った
春なのに春らしくない日が続く中、珍しく青空が見えた日曜日。
12年に1度の御開帳を聞きつけ、出雲崎にある滝谷薬師堂に出かけてきました。
大きな農機具格納庫の角を曲がり、細い道を車で進んでいくとお寺に続く石段が見えてきました。
行き止まりとなっているその道には、数台の車が停まっています。ご老人と初老のご夫婦が1組。
車、停めにくいな~?どうしよう?とか思っていると、ご夫婦がこちらを手招きしてます。
「車、ここに停めていいよ~。新聞見てきたの~?アタシたちも、今、説明を聞かせてもらったとこなのよ~」
いきなりフレンドリー。
知らなかったのですが、どうやら新潟日報に御開帳の記事が出ていたらしく、それを見てご夫婦はここに訪れたようです。ご老人は、こちらの集落でお堂を管理されているおじいさんでした。
ご挨拶をすませ、お堂への石段を上ります。石段の途中には、とても小さなお地蔵様と石仏がありました。こういう石仏にお花が供えられていたりするのをみると、地域から大事にされているお堂なんだなと感じることができます。
回向柱(えこうはしら)に巻き付けられたさらしは本堂の中へ伸び、御本尊の薬師如来の腕に結びつけられている。このさらしに触れることによって、御本尊に触れたのと同じ御利益があります。
息子を抱きかかえ、さらしを握らせながらふと本堂をみると、正面の扉にはかんぬき錠がかかっているではありませんか。
嘘、マジで?ご閉帳ですか?おじいさん、鍵閉めちゃったの?
あわてて石段のところまで戻り、「すみませーん。本堂って入れないんですかー?」と叫ぶと、三方から声が帰ってきました。
「開いてるはずだろ~?」と、右手からご近所のおじさん。
「なんですの~?」と、左手からは畑に行こうとしていたおばあさん。
そして、正面からは「閉めましたでの~」と管理をしているおじいさん。
田舎特有のこの ほのぼの感 がたまりません。
結局、おじいさんにお願いしてもう一度鍵を開けてもらい、本堂にあがらせてもらいました。
正面の厨子には、ご本尊の薬師如来が安置されています。
ヒノキの一本の素地仕上げで、座高は85センチほど。外観から、平安時代後期(藤原末期)の作と言われていますが、717年ごろ 例によっての行基様の手でつくられたという言い伝えも残っているそうです。
写真撮影はダメだったのですが、丸顔で優しそうな顔をした薬師さんでした。
お堂内にはご本尊の他に日光・月光、十二神将、四天王のうちの2体などが祀られています。どれも同じ時代、同じ木からつくられたものだそうなのですが、これまでの修繕によって、歴史的価値はなくなってしまったそうです。
実際、その修繕の方針にもよるのでしょうが、ペッタリとポスターカラー的な色が塗られ昔の面影は既にありません。
二体の四天王に踏まれてる邪鬼は、それぞれ赤と青に塗り分けられ、見事な赤鬼青鬼感を演出。
おじいさんは「昔、当時のお金で100万円も出して修理したのに、上手な修理じゃなかったら色がはげてきてしまった。残念だ残念だ。」とおっしゃっていました。
僕にとってはこのおじいさんの会話が十分な歴史的価値です。
お話を伺いながら厨子の周りをうろちょろしていると、お堂の隅を指さし説明をはじめるおじいさん。
おじいさん)「普段は防犯ベルをセットしてるんじゃが、今日は電源を切っているんじゃ。電源いれてみましょうか?」
僕)「いや、いいですよ。鳴るんですよね?」
おじいさん)「いやいや、ちょっとまっててくだされ。電源は向こうの部屋にあるんですわ。」
僕)「いや、いいですよ。セコムとかくるんじゃないですか?」
しばらく後に、お堂内に鳴り響く防犯ベルの音。
おじいさん)「わっはっはっは。ベルはあそこにあるんですわ。わっはっは。」
防犯ベルについて嬉しそうに説明をしてくださるおじいさん。なんつーか、お堂や仏像の話よりも防犯ベルのお話のほうが沢山聞かせてもらったような気がします。
その日のお堂には僕だけでなく数人の参拝客が訪れていて、僕が参りをすませ石段を下りる途中にも初老のご夫婦とすれ違いました。
ええ。車に乗り込むころには、また防犯ベルが集落中に鳴り響いていましたよ。
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