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慈眼寺の船岡観音

投稿日 2013年11月10日 日曜日

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カテゴリ中越地区の仏像

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タツノオトシゴ
木塀の穴を覗くと砂浜に立つ一人の男が見えた。地図上では山があるはずということよりも、覗き穴に向けられた矢印の先にある「やらせてくれるよ」という落書きと男の関係が気になり、僕はそこへ行くことにした。

書き出しに大した意味はありません。書き出し小説に囚われています。

小千谷市の街なかにある慈眼寺に行ってきました。
「じがんじ」ではなく「じげんじ」と読むようです。とても大きくて立派な山門。この山門を見に散歩に出るくらいの価値はあると思う。
そんな山門を写した写真は、家で見たら斜めになっていました。残念ながら御蔵入りです。

山門には力強い仁王さんが居ました。
もうちょっと肩の力を抜いたほうがいいですよ。腕が棒みたいになってるじゃないですか。
吽形阿行

山門くぐった正面の船岡観音堂には、船岡観音と呼ばれる聖観音像が居ます。
お堂の前に立てられていた看板の説明によると、平安期の仏像のよう。薄暗いお堂の中で淡い黄金色の光に照らされて浮かび上がる観音様。

お堂は閉じられていますので、例によって穴から覗きます。そんな私の姿が滑稽であったことは容易に想像できるのですが、覗き穴の先に居た観音様は神々しくもありとても綺麗でした。柏崎 妙智寺の聖観音さんと雰囲気がよく似ています。
毎月17日の夕方、九万九千日(8月9日夜)、新春ご祈祷(1月1日午前0時)にはお堂が開けられ護摩が焚かれるようです。
船岡観音

説明看板によると、水野敬三郎先生の調査が入っていました。

 慈眼寺は、寺伝によると天武天皇の白鳳年間、薩明大徳によって国家鎮護の道場として創建されたという。
 また、観音堂に安置されているご本尊、聖観世音菩薩は、大同年中たまたまお教えを弘めにこの地にこられた弘法大師が、衆生済度を念じて、一刀三礼、彫られたものと伝えられている。
(中略)
 元禄四年(1691年)には、御本尊を江戸に奉じて、出開帳したところ、参拝の善男善女が押しかけて引きも切らず、開帳法会を行うこと、ついに60日に及んだという。この盛んな評判を聞き、ときの五代将軍徳川綱吉公も、わざわざ参詣し、供養料として和歌一首を書いた扇子を奉納された。この扇子は、寺宝として現存している。
 平成の大修理(平成20年1月~5月)の際に、東京芸術大学名誉教授(新潟県立近代美術館名誉館長)の水野敬三郎先生から鑑定を受けたところ、出開帳の時、大々的な修補がおこなわれているものの胸腹部から両腕にかけては平安後期の本格的な作であることが判明した。
(後略)

境内にある説明看板より

お寺の裏手は船岡山。船岡観音という通称はこの山の名前からきているようです。
駐車場から道路に出てみると、緩やかに上り坂となっているのがわかりました。

船岡山へ

住宅地図

そして俺、この手の住宅地図が好きなことに気づく。さて慈眼寺はどこでしょう。かなり難しいです。

2013.9.14

慈眼寺(じげんじ)

仏像 聖観音(通称:船岡観音)
場所 〒947-0027 新潟県小千谷市平成2-3-35
問い合わせ先 慈眼寺(TEL:0258-82-2495)
拝観時間 境内自由。船岡観音は開帳時のみ。
拝観期間 毎月17日の夕方、九万九千日(8月9日夜)、新春ご祈祷(1月1日午前0時)
拝観料 志納
公式サイト 慈眼寺のホームページ

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