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新発田の千光寺でチラリズムご開帳

投稿日 2013年3月03日 日曜日

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カテゴリ下越地区の仏像, 秘仏

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その昔、テレビは今よりもずっと高級品だった。
ブラウン管にはうやうやしくも幕がかけられ、さていよいよスイッチオンでテレビ放送が始まるとなれば、一家の主たる親父殿がそのかけられた幕をご開帳するといった光景もみられたようだ。そんな栄華を極めたテレビ様も、今では旧時代のつまらないものの代表格のように言われ、テレビの人は大変だなと思うと同時に、世の儚さを感じたりするのだ。こんな時代のブラウン管じゃ、カッコつけた騎兵隊がインディアンを打ち倒したりもできない。

ブラウン管、若い人シラナーイ。

新発田市千光寺の千手観音ご開帳

新発田市の千光寺で年に一度のご開帳があり、家族揃って伺ってきました。
このお寺は天平時代に行基が開山したと伝えられており、蒲原三十三観音二十二番札所として知られています。開山当時は観音寺と呼ばれていたそう。

週末に降った雪がまだ残り、新潟の冬のご開帳。参道には新発田の街が発祥といわれる「ぽっぽ焼き」の屋台をはじめ、いくつかの屋台が見えました。こういうご開帳の風景は、地域に愛されているお祭であるということがわかります。ぽっぽ焼きよりも、こういった空気が好物。

仁王門やお堂には、丸に橘(たちばな)の大きな紋が入った幕。橘は、その葉が寒暖の区別なく常に生い茂っていることから生命力や長寿の象徴とされています。お寺では日蓮宗がこの紋を使用することが多いようですが、こちらのお寺は曹洞宗。気になったので調べてはみたのですが、どのような経緯でこの紋を使っているのかはわかりませんでした。最近はこういったちょっとした疑問から、地域の歴史などをたどっていく面白さが随分とわかってきました。頭に引っ掛けておくと、本を読んだり出かけたりするときの楽しみが増えます。

ご開帳の儀式が始まる15分ほど前にお堂に入る。しばらく待っていると、あれよあれよという間に50人ほど入る堂内は人で一杯になりました。

ご近所のかたが多いのでしょう。赤ちゃん連れのご夫婦も沢山いらっしゃいました。お手伝いをされているおじいさんから、息子を含めた子どもたちにお菓子が配られました。壁に目をやると、奉納されたお菓子などの目録。ご近所のかたのお名前や、中にはセブンイレブンの店名なども書かれており、地域の人の意識の中にあるこのお寺のポジションなんかを感じてグッときます。

100円で御影像が売っていたので購入。同封されていたお供え物の金平糖は、仕事しながらの糖分補給に活用させていただきました。糖分の補給で私の仕事が捗るかは別。むしろお菓子が先行します。

ご開帳の儀式が始まり、読経に合わせ太鼓がドンドンと打ち鳴らされる。毎度のことながら、この楽器とお経の醸しだすトリップ感はたまらないものがあり、気分が高揚してきます。息子もノッています。
読経が終わり、縁起が読みあげられると厨子にかかっていた幕がスルスルとあがりました。千手観音のご開帳。像高は約170cmほどのようで、堂内の少し高いところにある厨子に祀られてれています。県や市などの文化財指定もされてはおらず、制作時代や補修の履歴などはわかりません。縁起によると天平時代の行基作とのこと。若干お顔が大きめです。

縁起は聞き取れず、資料などもいただくことができなかったのでウェブで探したところ、次のような内容が読み上げられていたようです。

由緒によれば、天平年中に行基が当地を訪ねた際、ある夜に夢枕に白髪の人が手に御衣木と二本の命棒(延命長寿と無病息災を司る棒)と福棒(災難除け、降魔安全、知恵福徳、立身出世を司る棒)を持って現れた。
そしてその霊木を差し出して行基に千手観音を彫り、彫るものは極楽浄土の阿弥陀如来に帰依して、製作し衆生の煩悩を払い御利益とし、毎年正月17日にこの棒を市中に翳せば、今に御利益があると告げたという。
そして、その白髪の人は不思議にも金色に光る千手観音に化身し雲に乗って南方方面に帰って行ったという。
行基は、涙を流し感激して、実際に見た千手観音の姿を参考に千手観音像を彫り補陀落山観音寺を建立して仏像を安置したという。その後兵火に遭い仏像は金色の光を放ちがら、越後向中条に飛び去り、そこに安置された。
その後、ある夜に因縁が尽きたのか行方が分からなくなり人々は別れを惜しんだという。
何百年か経ち、曽根新田開発の時夜になると水面が光り輝く場所があり、村人が不思議に思って数人で掘ってみたという。掘りだしてみるとそれは、金色に輝く千手観音像であったという。その場所は「千手田」と呼ぶようになったとう。
村人は、堂宇を建立し安置したという。寛文2年正月17日、村人の夢枕に千手観音が現れ「我が旧地は五十公野外城村なり 必(かならず)迎(むかえ)る者あらん 早く我を送り帰すべし」と告げたという。早速、村人はお告げのように、五十公野村外城に堂宇を建立し補陀落山千光寺とし仏像を安置した。
その瞬間から、千手から無量の光を放ち病苦から人々を救い、盲目の人は目が見えるようになり、女人を難産から救いその霊験を信じて多くの信者が参拝するようになったという。

補陀落山千光寺・千手観音 堂/新発田市 – 新潟県北部の史跡巡り – Yahoo!ブログ

「オォ!オォ!」と小さい歓声が上がる中、1分もたたないうちにご開帳は終わりました。スルスルと幕が下り、なんとチラリズムなご開帳でしょうか。「もっともっと」と煩悩を刺激します。

幕が下りた後は、五穀豊穣や地域発展、地域住民の安全と健康の祈願がおこなわれました。特別祈願のお願いをされていたご近所のかたは、お名前も読まれてましたね。そういやこのテの祈願は神社でやるものばかりと頭にあったので、なんだか新鮮でした。

布団が掛けられたテレビ

高級品だったテレビも私が少年の頃にはすっかり普及品となり、自室にはお古のブラウン管テレビがあった。もはや普及品となっていたテレビはご開帳の儀式も執り行われることなく、部屋の隅で明るい光を放っていたのだが、深夜ともなればお色気番組をこっそりみるために、私の手によって布団がかけられるのだった。

その光景は、はだしのゲンでみた空襲時の食卓のよう。障子で区切られた部屋の外に光が漏れぬよう、布団によって閉じられた空間の中では、深夜番組のもったいつけたチラリズムに欲望をズンズンと刺激されている私が居た。

高校生のころ、アルバイトしてためたお金で買った自分専用のビデオデッキ。いつも観ている深夜番組をつけ、良い部分だけをまとめたテープをつくろうと編集したところ、お色気タイムは驚きの短さだったことに改めて気づき、唖然としたのだった。

そんなことを思い出しました。

2013.2.17

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DXアンテナ 外付けHDD対応22V型地上・BS・110度CSデジタルハイビジョン液晶テレビ LVW22EU1
ここ半年くらいテレビの調子が悪く、電源を入れてから絵が映るまで30分くらいかかるんですよね。電気屋さんに立ち寄るたびに物色はしてるんですが、店頭においてあるものは余計な機能が沢山ある高級品ばかりで。
ネットで買うと必要十分な機能でなおかつ低価格なものが選べて良いですね。このあたり狙っています。
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  • 丹羽 基二 著 (講談社プラスアルファ文庫)
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内容紹介から「家紋に秘められた家のル-ツがよくわかる!家紋の基本形500点に変形820点を一挙掲載。家紋からわかる家の歴史、由緒を簡明に解説し、巻末には読み方付きで家紋と名前の索引を設けた便利な決定版事典」
我が家の家門は違い丁子(ちがいちょうじ)です。長い間、農家だから大根…と思っていたんですが、これスパイスのクローブらしいですよね。子供のころはかっこ悪いなーと思ってたんですが、最近は気に入ってます。

千光寺(せんこうじ)

仏像 千手観音
場所 〒957-0021 新潟県新発田市五十公野5021
問い合わせ先 新発田市観光協会(TEL:0254-26-6789)
拝観時間 御開帳時間

  • 10時00分~
  • 11時00分~
  • 13時30分~
  • 15時00分~
  • 16時00分~
拝観期間 毎年2月17日
拝観料 志納
公式サイト なし

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