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与板・山沢の阿弥陀如来は仏々交換だった

投稿日 2010年12月12日 日曜日

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カテゴリ中越地区の仏像

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新潟日報を読んでいたら、与板地域に伝わる阿弥陀如来の記事がのっていたので、お参りに出掛けてきました。

場所は、与板・山沢の集落センター。祀られている仏像は阿弥陀如来で、集落センター前の看板には、次のように書かれていました。

宝寿庵阿弥陀如来像(与板町指定文化財第五号)
宝寿庵のご本尊ので、古くからこの地方の信仰の厚い仏像である。お顔は円満具足の相をそなえ、全体のプロモーションから奏でられるのはやわらかく、やさしく、一切衆生への慈悲である。
平安時代の余風を存した仏像で、胸は平たく抱擁力に富んだ広さを感じさせ、坐像で膝高は低く、袖衣(しんい)もほどよく整えられ、全体になめらかな刀法で出来ている。
浄土教特有の木彫の阿弥陀如来坐像で、第一指と第二指を捻じ(ねんじ)膝の上で、組み合わせた上品上生印をなしていた。
鎌倉時代では坐像より立像に変わっていくが、地方では鎌倉期でも坐像の阿弥陀如来像もあり、時代的・地方的作例としても貴重なものであります。

像は高さ約90センチ。鎌倉時代の作と推定されています。金箔も少し残り、白毫と肉髻珠には水晶的なものがはめ込まれています。台座は少し破損が進んでいるようでした。

阿弥陀如来坐像

この阿弥陀様、元々は同じ山沢集落の山あいにあった宝寿庵のご本尊だったそうですが、管理ができなくなったために、この集落センターができたときにこちらに移してきて、それ以来、共同で管理をしているそうです。

言い伝えによると、元々宝寿庵では観世音菩薩が安置されていたのですが、お告げがあり船に乗せて奈良・吉野に運ぶことにしたそうです。するとその道中、目的地である奈良・吉野から同じようにお告げに従い、山沢へ如来像を運んでいるという人達に出会いました。そこで、その場でお互いに像を交換し、阿弥陀如来は山沢の宝寿庵で安置されることとなったそうです。この像は、慈覚大師の作と言い伝えられているそう。

春と秋には、お寺さんを呼んで精進料理を食べるというお祭りがおこなわれているそうです。

阿弥陀如来坐像

顔つき、体つきともにどっしりとしてバランスもよく、男っぽい阿弥陀様でした。

与板といえば、巨大な大判焼き。商店街の石黒大判屋で、こぶしのような巨大な大判焼きを買って帰りました。これ食べると、晩ご飯食えなくなるくらい、お腹いっぱいになります(笑)...食いますけど。

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