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観音寺の即身仏さまとSな奥様

投稿日 2008年12月25日 木曜日

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カテゴリ下越地区の仏像, 即身仏

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 友人と二人で年末の村上に向かいました。
 この日の目的はふたつ。

  • 村上には、日本で最新の即身仏がいらっしゃるそうなので、ぜひ拝んでみたい。
  • 今の季節、村上は町のいたるところで軒下から鮭がぶら下がっているらしいので、是非食べてみたい。

 こんな面白そうなもの、ほっとく手はありません。

 村上駅につくと、まず目に入った観光案内所に入ります。即身仏がある観音寺には歩いていけるのかと尋ねてみると、「まずはこれを読んでいけ」と、まんが本をコピーしたようなものを渡されました。それは子供向けの学習マンガのようなものでした。
 タイトルは、「即身仏のひみつ」とかなんとか。なるほど事前に予習ができるようになっているとは、さすがサービス満点な村上市です。

 どうやら、観音寺には歩いていけそうだとホテホテと歩き出すと、目的地はふいに現れました。

 玄関を開けてご挨拶すると、ご婦人が出迎えてくれます。

ミイラがいるます観音寺

 「今、奥様を呼んできますからね~。奥様、口は荒っぽいけど、優しい人ですからね~。」
 とのこと。…口が荒い?はて、なんのことでしょうか?

 観音寺の即身仏さまは、仏海上人といいます。
 明治36年。76歳でお亡くなりになった後、結跏趺坐のお姿で厚板の木棺に納められ、観音堂裏の土中深く造られた石室に安置埋葬されました。昭和36年の夏、遺言によって発掘され、新潟大学にて調査研究が行われたといいます。
 上人が即身仏になろうと思われたときには、既に法律によって即身仏になることが禁止されていたため、やむなくお亡くなりになってから石室に入られたとのこと。
 また、遺言では死後数年で掘り出してくれとのことだったようだったのですが、そのとき既に墳墓発掘禁止令という法律があり、大学の研究グループによって発掘されるまでは、掘り返されることはなかったのです。

 即身仏となられてから100年ほど。日本で一番新しい即身仏なのです。

 ご婦人に言われたとおり、本堂で待っていると車椅子に乗った奥様が現れました。

 ご挨拶しようと思ったのもつかの間、奥様は速射砲のようにしゃべりはじめました。7割方何を言われているのかよくわからなかったのですが、その話のスピードと一方通行な感じが、ど~にもおばあちゃんに怒られているような気分になってきます。

 SかMかと問われれば、間違いなく「Mですが、それが何か?」と答える俺。SのおばあちゃんとMの俺、良い塩梅なのではないでしょうか。

 ふいにおばあちゃんが、「さぁ、そっちに行って仏海様を見ていけっ!」と言いました。

 え?何?

 と、左を向くと、居ました。仏海様が。

観音寺の即身仏

 (仏海様は撮影禁止。こんなイメージということデス。)

 以前、寺泊の西生寺に即身仏をお参りにいった際には、お堂+語り部+ご開帳の演出があったのですが、こちらはビックリ無防備のノーガード殺法です。
 なんというか、本堂の端のちょっと雑然とした環境に、ガラスケースに入った状態で仏海様は座っていらっしゃいました。何も足さない、何も引かない、とにかく無造作です。

 俺と友人が、仏海様に手を合わせている間もおばあちゃんは、すごい勢いで話しを続けています。おまけに時折、「なぁ仏海さん、そう思うだろ?」「なぁ仏海さん」と、仏海様に相づちを求めているのです。おばあちゃんは、仏海様としゃべることができるのでしょう。
 (よく聞き取れなかったのですが、基本的には結構いいお話をしていただいたように思います。)

-+ 仏海上人が納められていた木棺と、埋葬されていたときの図解 +-

仏海上人が納められていた木棺

仏海上人が埋葬されていたときの図解

-+ 発掘風景と、本堂裏にある木棺が掘り出された後の穴 +-

木棺の発掘風景

本堂裏にあるが木棺が掘り出された後の穴

 仏海上人にも、Sの奥様にも圧倒された観音寺でした。 

 そうそう、このあと鮭だらけの村上市を巡りました。人情味溢れるほんとに素敵な街でした。

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