GATABUTSU

西生寺の健康なミイラ

投稿日 2008年11月17日 月曜日

コメント コメント(0)

カテゴリ中越地区の仏像, 即身仏

タグ | | | |

 新潟県長岡市は、魚のアメ横でおなじみ 寺泊 の西生寺にでかけてきました。

 ご本尊の阿弥陀如来が12年に1度のご開帳中、その最終日だったのです。前日までの秋晴れとはうってかわっての雨模様でした。これから新潟には、陽の照らない季節が訪れるのですよ。
  
 最近、このあたりにはよく来ているので、車の運転も快調。迷うこともなく、お寺の駐車場につきました。

 参拝者受付では、若めのお姉さんが受け付けをしています。
 この西生寺というお寺のWebサイト、ノリが軽くてなかなか面白いんですが(おてら通信というコーナーでは、12年ぶりご開帳の阿弥陀様が『はじめましてどーも。』とか言って軽く登場するのです・・・)、察するにこのお姉さんが更新しているのでしょう。。。
 HPを見ましたと言って、プレゼントに小さい「ありがとうローソク」をもらいました。合い言葉でプレゼントなんて、まるで商店街の喫茶店みたいなサービスですね。

HPを見ましたというとありがとうローソクもらえる

 即身仏の拝観は11時40分から可能とのことですので、それまでは言われるとおりに宝物殿で時間をつぶします。
 ...たったのしいっ!
 まさにお寺ワンダーランドの様相を呈しているのですよ。
 
 まずはこれからお会いする即身仏の木彫りのフェイクがお出迎え。

即身仏の木彫りのフェイク

 でかいオオカミ 因縁深き獣神らしいのです...

因縁深き獣神

 小さい厨子の中にお釈迦様の頭がすっぽり。

頭すっぽり

 江戸時代に絶滅した幻の珍獣 雷獣 のミイラ。

23963993_7966854江戸時代に絶滅した幻の珍獣 雷獣 のミイラ

 トドメには、アフリカ ザイール地方に伝わる民族神”アークボーン”。

アフリカ ザイール地方に伝わる民族神”アークボーン”

 たっぷり楽しませてもらった後、はるばる海を渡ってジャポンで祭られることになってしまった異国の神”アークボーン”に別れをつげ、境内を順路に沿ってあるくことにしました。
 即身仏が祭られている弘智堂手前の石段の下についた時点で、時計は11時36分。

本堂 本堂

 「微妙に早いね。どうしよっか・・・」などと話していると、お堂の中から僕たちを呼び止める声がしました。

 「即身仏はこっちですよ~ぉぉぉ」

 !?石段を登り、お堂の中を覗くと中で老人がこちらを見て手招きしています。

 まっ!まさかっ!
 この日は、12年に1度のご開帳の日。
 そのご開帳の期間中は即身仏が蘇って、参拝客を手招きするという伝説がこのお寺には...

 手招きしていたのは、語り部のおばあちゃんでした。
 おばあちゃんは僕たちをお堂に引き入れ、まずはお堂の建築様式や彫刻なんかについて説明してくれます。話を聞いていると、なんだか子供時代にトリップしたような気分になってきます。
 
 そして、即身仏についての説明がはじまりました。厨子は厚手の布(?)で覆われお姿は見えません。堂内には、テープで録音されたお経が流れています。
 「そうだよな~。やっぱり、640年も前の即身仏なんて見せてもらえるワケないんだよな~」

 ちょっと悲しくなったのですが、合掌を続けているとおばちゃんがいそいそと厨子の前に行き、スルスルと紐を引き始めたではありませんか。すると、厨子を覆っていた布は開かれ、中からは蝋燭の明かりに照らされた弘智法印即身仏が現れたのです。なんという、素敵な演出。この演出、江戸時代から続いているらしいのですよ。

 すっげぇ~・・・

 なんというか、ただただ・・・「すっげぇ~・・・」なのです。
 即身仏になると決めたその日から、タンパク系のものはいっさい口にせず、薬草や木の実だけを食べて、長い時間をかけて体を浄化していく。そして、最後にはお経を唱えながら、土の中に作られた小部屋でミイラになるというのです。
 話だけでもド迫力なのに、今、目の前にその即身仏がいるのですから。

 宝物殿に、弘智法印様のレントゲンが飾られていたのを思い出しました。即身仏ともなると、ミイラになってもなお、健康診断を受けなきゃならないんだ...”死してなお健康”ってわけなんですね。

即身仏のレントゲン

 お堂を出るとき、語り部のおばあちゃんに訪ねました。
 「もう、長いことここで説明をされてるんですか?」
 おばちゃん、にっこりして「エヘヘヘ・・・そんなことないよw」と。
 田舎のおばあちゃんってカワイイ。

本堂

12年ぶり御開帳だし旗が沢山

 本堂に向かい、ご本尊の阿弥陀如来にご対面。
 お堂内は薄暗く、また阿弥陀様は高い位置にある厨子に入っているので、いくら柵から身を乗り出そうとも、しゃがんでのぞき込もうとも、見えるのはその印相の部分のみでした。

 なんとかもう少し近くで見たいと思い、他の参拝客がいなくなってから檀家のおじさんにお願いしたら、困った顔をしながらも柵の中に入れてもらえました。ありがとうございます。
 それでも、やはり本堂内は薄暗い。印相だけでなく、お顔まで見えるところまで来たんだけど、やはりお姿ははっきりみえません。しかし、そのお姿は素敵なシルエット如来でした。

 また12年後に逢いましょう。

 最近、このあたりにはよく来ているので、車の運転も快調です。お寺の駐車場から出て最初の角を左に曲がりました。車は、弥彦山を山頂にむかってどんどん進んでいきます。

 どうやら、来たときとは正反対の方向に車を走らせていたようでした...
 あわてて引き返した、雨の昼下がり。

 僕がお寺を訪ねたその数日まえには、みうらじゅん氏が訪れていたようです。

 もしや、じゅん氏に逢うこともあるのではと、カバンにはじゅん氏の「見仏記4巻」とサインペンをいれておいたのですが...遅かったかっ!

 じゅん氏と受付のおねえさんの掛け合いも、おてら通信で読むことができます。
 おかしな2人です。

コメントを残していただけると、読者の反応の改善に役立ちます。自由にコメントしていただいて構いませんが、スパム行為や他人を貶める誹謗中傷などはご遠慮ください。

コメントは受け付けていません。

Loading